高原幸男のブログ
日常の出来事から、思いのまま書きました。
もう!クリスマス
もうクリスマス  2009/11/03

今日の大阪は冷え込んだ冬の寒さがやってきた。今日は文化の日。多くの人が叙勲を受けた。日本の人々に喜びを与えた人たちだ。おめでとう!とお祝いすると共に、ありがとうと言いたい人たちだ。普段は一つのことに熱情を込め、脇目もふらず一生懸命に働いた方々だ。重ねてありがとう!と申し上げたい。

クリスマス1さて、私の教会にある小さなウインドウに、もうクリスマスを飾った。クリスマスカロルを表現した町並みである。夜は電飾が入り、美しい。ミニチュアであるが、眺めていると心が和む。

 クリスマスとはクリストのマス(祭り)。すなはちイエス・キリストが生まれた記念日である。世界中がお祝いする。キリストは人知れず小さな馬小屋で生まれ、貧しい大工の息子として育つと共に、一生懸命に人々の救いのために、働いてこられたから、みんなが感謝をし、お祝いするのである。

 人間が他人を殺してでも自分の快楽と楽しみ、見栄のために生きようとする愚かさ。他人を騙しても自己財産の増殖に奪われた心になっている哀れな者のために、キリストは本当の人間に戻るようにと、生まれて下さった。

 多くの人が自分で心をコントロールできなくなり、争いや憎しみという餓鬼のような心になってしまった人々を、本当の人間になるように、神であったのに、人となられて来てくださったのである。

 文化勲章を受けた方々は、本当の人間として、自分に与えられていた賜物(才能)を上手に生かして使われてきた方々である。人間ならば、本来それぞれに神さまから与えられている賜物が備わっている。
 たとえば勉強が駄目なら、他人より体育的な面で優れているところがあり、絵画や音楽なども芸術において優れている場合もある。体が弱いならば、技術的な知能的な面での優位性が発見される場合が多い。

 そんな意味で神の賜物はみんな違いがあり、平等である。
ただ人間側が一つのパターンを決めて、それに答えられれば優秀と決めたり、走りにおいても標準を決めて到達しなければ、ダメ、と評価するからおかしいのであって、グローバルな視野に立って、神の賜物を生かせられることで、バランスが維持でき、社会が構成されるのである。

 クリスマスとは、人間を造った神の一人子が、人間社会に来て、本当の人間に戻るべき事を、知らしめるために来た日でもある。

 人間も物を造るとき、目的無く造る物はない。例え一つの妻楊枝もちゃんと計算され、計画して造る。
 人間を造った神は、我々ひとり一人計画があって目的に従って造っておられる。それが判れば、人生楽しいものである。
 目的無く生きている人は、正直、不平不満が多くて、怒りっぽい人になっている。人生を無駄に過ごし、無駄な金を使い、無駄な物に時間を使い、無駄に自分の体を使う。

 そのようになるために、キリストは人間を造ってはいない。全員文化勲章を受けるほどに生き甲斐のある人となれるように、賜物を与え、生きることができるのだと、聖書は語り、教えている。

 それを認識する機会がクリスマス。
そんなことで、早いクリスマスを飾って、道を通る人に気づいて欲しいと見せている。


ちょっと偉そうに書いたが、意見があれば下さいな。


天国と地獄
天国と地獄 2009/10/25

 ある人はゴルフが大好きで仕方がない。三度の飯よりゴルフであった。
教会に行くよりゴルフに行くこともしばしばであった。
しかし、その男性が、ふと「天国にゴルフ場があるのだろうか?」と思い、神父に相談した。

「神父さま、天国にゴルフ場があるのでしょうか?」
神父は返答に困り、「司教さまに相談してお応えします」と返事をしておいた。
相談を受けた司教も返事に困り、大司教にその話が行った。

大司教も天国にゴルフ場があるとも無いとも言えない。
この話が大問題になり、とうとう世界の会議になり、バチカンに決定して貰うことになった。

バチカンで協議が行われ、結論が出た。
そして、やがてその男性に神父から答えが告げられた。

神父は男性に「天国にはちゃんとゴルフ場があります。とても人気があって、予約が必要だったそうです。そこで、バチカンから1ヶ月後に、あなたの予約を入れておいたそうです。どうぞ行って下さいまし。」
それを聞いた男性は、あわてて「その予約はキャンセルして下さい。もうゴルフを辞めます!」

天国と地獄と、どちらに行きたいですか?
美しさとかつら
美しさとかつら  2009/10/24

先日ある話を聞いた。
カソリック教会には懺悔室がある。そこには神父が居て、悩み相談とか、罪の告白を受けて、神に悔い改め、許しを願うところである。

ある女性が告白に来た。神父は問題によって受け答えをする。
その女性は
「神父さま、私は大きな罪を持っていました。今まで、この教会の中で、一番美しいと思っていました。
この傲慢を、神さまに許されるでしょうか?」
結構大きな教会であったのですが、神父さんは
「ああ、そうですか。それはご安心下さい。
それは、あなたの誤解ですから・・・。」
女性「・・・・・・?」


ある40代の男性。
頭の頂点がかなり薄くなってきた。気にしていたが、ひどくはなかった。
家族からも会社でも、時々冷やかされるが、大いに笑って会話が弾むことが多かった。

ところが、密かに「かつら」を高額で買った。
装着してから、会社では目をすぐ頭に視線をやって、頭の事に触れず、会話が少なくなった。
得意先でも何となく、相手が目線を時々頭に向けることが気になり出した。

自分も意識して、ぎこちない会話が出始めた。
これは何とかしなければ、と思い、懺悔室に。

「神父さん。どうしたらいいでしょう。」
神父さんは「神さまが与えてくれた自然が一番良いと思いますね。私もその気持ちで悩んでいました。一緒にお詫びしましょう」と言って、自分のかつらを外した。

聖書には「人は外かたちを見る。しかし、神は心を見る」とあります。
美しさは、心の中から反映していくものです。

スゴイ桜と毛糸の花
スゴイ桜と毛糸の花  2009/10/21

桜の木1
私の家の前に、桜の木がある。まだまだ木は細くて、花は咲いたことはないが、生えているところがスゴイ。
以前から気にしていたが、もう背丈は屋根を越えている。そのため、一度報告という意味で見て貰うことにした。
実はコンクリートの細い溝の割れ目から、出てきた桜の木である。
以前新聞で「根性大根」と報道され、テレビでも取り上げられ、一躍有名になった。
しかし、何者かによって持ち去れら、残念な結末になった。桜の木3
 はじめは正直に小さな苗木であった。何の木であることも判らなかったし、誰も目にとめていなかった。空き家である故に、誰も肥料も水も注ぐことはしない。本当に雑草のようにたくましくひっそりと生きて成長してきた。
見ての通り、この桜はしっかりと根付いて大きくなっている。しかし、もし花を咲かせば、みんなが振り向き、この異様さと辛抱強さ、また名物になって、心無い人によって枝を折られるかも知れない。

どぶの溝に生まれた桜の種類も判らないが、花言葉に、八重桜には「豊かな教養・善良な教育・しとやか・理知に富んだ教育」、ソメイヨシノには「高貴、清純、精神愛・優れた美人」、しだれ桜には「優美・ごまかし」、そして国花でもあるヤマザクラには「純潔・高尚・淡白・美麗」という花言葉がついているそうだ。でも、共通して清潔な教育ある高貴な象徴であるように、我々人生の中でも、どんな環境に生まれてこようが、忍耐と環境の順応性に富み、自らの身を清潔に保って静かに生きている姿は、やがては、純潔な高貴な人になっていくことを示してくれる。

さすが日本国民すべての人に愛されている花であるように、この桜もやがては近所の人々に大切に扱われ、愛されるに違いないと思っている。

 だが、私はまだ少し花を咲かせないで、生きていて欲しいと願っている。もう少し私に生きる勇気と忍耐力を示して欲しいと思っている。花は一時的に終わるものだから、もうすぐ冬がくる。その寒い社会に耐え、世間の風に吹き飛ばされないでから、花を咲かせて欲しいと願っている。
ケイトウの花1

もう一つ。
この桜から300mも離れていない場所に、同じくどぶの溝の割れ目から、今度は花を咲かせている毛糸の花がある。そこは人が住んでいて、丁度玄関の入り口に、門松のように戸扉の両側にしっかりと根付いて、赤い花を沢山つけている。
 そこを通るたびに、あでやかな赤の美しさに心が和まさせられる。
毛糸の花はヒユ科の一年草。原産地は熱帯アジアと言われているが、ここのケイトウの花は、ここ数年咲き続けていると思う。
ケイトウの花2
花言葉では、「情愛・色あせない恋・しぼまない恋・おしゃれ・感情的・奇妙・不死・気取り・博愛」とネットに書いてあったが、年中人々に、色あせない心としぼまない心を与えてくれているようだ。

このどちらも、汚水が流れるであろう「どぶの溝」の、しかもコンクリートの割れ目から芽を出して、大きくなって花を咲かせるのである。

世の中に不幸と思える人もいる。生まれ育ちがその人の人生を左右することも多い。
しかし、この桜の木とケイトウの花を見て、何かを学んで欲しい。
きっと、神さまは一人一人の生きる道を示しておられると思う。
孫が新型インフルエンザにかかった。
孫が新型インフルエンザにかかった。  2009/10/13

 昨日、娘から電話がかかり、子供が新型インフルエンザにかかったと電話があった。
え〜っ!えらいこっちゃ。どうすんねん。

学校で先日一人が発生したことがあり、今日は同じ学校で17人が発生したと聞いた。
一時期大変な騒ぎになっていたが、やがて何とも思わず、マスクもせず、平気に人混みの中を行き来して、全然問題がなかったのに、身近に出ると世界保健機構が言っているのが正しいと思うようになった。

 孫は39.8度の熱が出たという。病院に行く前に電話をして対処を伺い、処置をして戴いた。
今日は37度に熱が引いたので、ひとまず安心をしたものの、新型は怖いと思った。

おりしも自動車の新型がTVで発表していたので、関係がないが、治療費と車の値段を見て恐ろしさを感じた。

健康のためにエコを心がけることは、高くつく。電車バスを利用し、歩くことで体は鍛えられ、車を買わなくてすむ。これが一番のエコであり、治療費もかからない。

病魔と誘惑は身近に迫っている。
気をつけましょうね。
健全な街を考える会 第2報
健全な街を考える会 第2報  2009/10/09    
 生きることに関連して

パチンコ
老人に開放したら(インターネットから)


 前回、健全な街を考える会のブログを書いた。そうしたら次のような話しをして下さった方がいる。

 年金支払日の15日に老人達が、受け取った年金をポケットにして、そのままパチンコ店へ行く人が増えているそうである。そしてパチンコ店を出るときにはポケットはからっぽ。その月の生活費を無くして生きることになるのだから、大変苦労している。と言う話しである。
 もし、パチンコをしないで居れば、何とか生活が出来るところを、無くしてしまったものだから、寸借を繰り返しているそうである。

 また、主婦たちのパチンコ愛好者が増えているとのこと。小銭を稼いで大損をする。うっかりスッてしまえば、夫が働いた生活費を、無くしたものだから、サラ金に手を出す人も多いとか、それによって更に高額な利息で首を絞め、多重債務者、自殺、家庭崩壊、幼児虐待・放置等などに進んでいくという。

 昔に聞いた話で、雀を生け捕りにするときは、かごの下に支えの棒を持ってきてひもをつけて隠れている。かごの下には米を撒くが、そのかごに導くために転々と離れたところまで米を少し撒いておき、それにつられて雀が米を食べて行く内に誘導され、かごの下に来た時を狙って支え棒を引っ張り、雀を生け捕りにすると言う話しである。

餌は少しである。しかし食いついたら罠にはまるのである。ギャンブルはそんな性格を持っているようだ。

 さて昔は、老人になれば人格的にも丸くなり、人生経験豊かで、知恵者がおり、優しく温厚な人とのイメージがあった。しかし、都会の老人はすぐに「きれる」人が多くなった。
 先日もパチンコ屋から出てきた老人が、信号無視をして、危なく自転車だったけれど、ぶつかりそうになったので、「信号赤ですよ!」と注意したら、反対に食ってかかってこられたことがある。おかしいではないか。「ありがとう」と言わない人が多くなった。実にイライラしている人が多い。
 ゆとりがない。どうも有り金が無くなったから、イライラしていたのであろう。
 こういうゆとりがない人がいらついているから、ターゲットになって、少しの餌にも理性が失われ、のめり込んでパチンコ屋が繁盛する。ちょっと愚かな貧しい人から、巻き上げた利益で巨大化しているのがギャンブル業と占い業であると思っている。

 前回のブログにも載せたが、2008年のパチンコ市場:(貸玉料ベース)21兆7160億円。この年間売上高を月当たりに換算すると:1兆8096億円。150万円の車なら、120万台に相当だ。この額は年金福祉、医療に当てれば、老人ホーム無料、老人の医療費無料も出来る程である。
これだけの可処分所得が、毎月パチンコ、スロット機に吸い取られ、経営者が潤っているとのことである。事実、日本の長者番付のトップテンにパチンコ経営者が多数が入っている。

 ギャンブルで一時期儲けても、継続ではない。本当の利益はわずかでも継続によって生み出されるものであって、一攫千金は夢物語である。

 みんな本当は判っているのに、スリルがあり、もうちょっと、あそこをこうすれば何とかなったのに。と言う負けず嫌いの葛藤。この人間の本能にある競争心にあおられるギャンブル性が、危険を伴うのである。

 スポーツも同じ、商売も、あらゆる行動にはこの競争心が関与し、危険を伴いながら自分を追いやって、勝敗を決めていくのであるが、競争心は本来良いものである。これを否定して生きることではないが、節操、節度、コントロールが必要である。うまく自分の人格、知識、名誉、生きる命に用いていけばいい。快楽、快感、快適もほどほどに。楽しみばかりでなく、喜びを獲得するために競争心を用いることは良いことだと思う。

 老人がスグに腹を立てる。いきり立つ。これも生活にゆとりが無く、友もなく、子供孫達に顧みられない、寂しい毎日を送っているひとりぼっちの老人が、多くなったからでもあろうと思う。
 昔の老人は、孫に少しのお小遣いをやり、一緒に公園などへ出かけて遊んでこそ、元気になって、食事も進み、楽しく長生きをしていたと思う。何が、このすばらしいものを奪い取っていったのであろうか。

 
健全な街を考える会
健全な街を考える会   2009/10/07

昨日、ある人とお会いして、下記の文章を戴いた。
そのまま、今日は記載します。何かを感じ、お考え戴いたら結構です。

 ギャンブル大国日本についての『不都合な真実』
 日本生産性本部2009年7月30日付『レジャー自書2009』から引用‥

 2008年のパチンコ市場:(貸玉料ベース)21兆7160億円
 2008年の余暇市場全体:72兆8760億円
 2008年の余暇市場全体に占めるパチンコ市場:29.8%
 2008年のパチンコ参加人口:_1580万人(前年より130万人増)
 全日本遊技事業協同連合会(全日遊連)2009年9月16日の業界ニュースから引用

 2009年8月末時点   全国営業店舗数:1万1772軒
 2009年1月からの新規店舗数:179軒 廃業店舗数:387軒
 全国パチンコ設置台数:420万978台(前年より微増)
 参加人口:1580万人(前年より130万人増)全人口の12%強に相当
 
今年一月からの廃業は、パチンコ機の新機種発表の期間が短くなり、新機種に入れ替え出来ない資本力の弱い、店が廃業に追いやられているのが実情と思われます。資本力のある大型店へ集中して行っていると考えられます。

 2008年度日本の自動車産業の売上が49兆4000億円と比べて、パチンコ産業が21兆7160億円、そのほかに競馬競輪競艇等があることを考えると、日本はまさしくギャンプル大国であります。

 現在のパチンコ・パチスロはCR機・AT機という非常にギャプル性の高い機種で、2時間ほどの間に数万円が動き、スロットでは1日に10万円単位の勝ち負けも珍しくありません。
 数日間で、サラリーマンの給料程度の額を失う事になり、依存者になると半年ぐらいで数百万の借金を負う事も稀ではありません。
 韓国はパチンコにからむ殺人、強盗事件の多発、政府高官の利権汚職などの問題をマスコミが取り上げ、2006年未にパチンコを法律で禁止しました。(実際は30数年前も禁止されていた)
 台湾では、それ以前に禁止していますが、この事は日本では全く報道されていません。

 パチンコ参加人口が1580万人で、その内釣1%の150万人がパチンコ依存症ではないかといわれております。パチンコで遊ぶ金欲しさの強盗・殺人から、パチンコに熱中した親による幼児虐待・放置、家庭崩壊、多重債務、自殺など増加の一途をたどっております。
 これほどまでに社会問題化しているに拘らず、国会議員の誰一人としてこれを取り上げず、それどころかパチンコ業界の団体である「パチンコ チエンストア協会」のアドバイザーとして名をつらねて、政治献金をうけています。
   民主党 28名  自民党10名  公明党3各
 また、この業界には警察官僚の天下りがあり、マスコミは大口コマーシャルの重要な顧客先であり、TVでパチンコ台の宣伝を垂れ流しています。

 貧困家族への補助金、子育て支援金などが、パチンコ業界へ吸い取られて行く現状を食い止めなければなりません。業界と癒着している政治家に頼れません。わたし達が結束してパチンコを非合法化し子供や孫達のために街を浄化する運動を立ち上げようではありませんか。K/Y
首相官邸のメールを読んで
首相官邸のメールを読んで  2009/10/04


鳩山総理
 以前から首相官邸から発信されているメールを、気まぐれではあるが、読んでいた。
政権が変わり、民主党の「鳩山」首相に変わった。そして、創刊号が届き、挨拶文と共に編集責任者の方が、首相のスローガン「友愛」について「YOU & 」だと書かれていた。
 私はなるほどと感心した。「あなたとわたし」に通じ、政治は国民と密着した共通事項であり、共同であり、協同であると思っている。「友愛塾」も設立されたようであり、唱歌に「大きな栗の木の下で」と言う歌があり、「あな〜たと私、仲良く過ごしましょう。大きな栗(国)の木の下で〜♪。」と歌っているように、国民と仲良くして戴きたい。

 いろいろ批判が噴出している昨今。十人十色、一人として同じ人間はいないし、性格性質も違う。
同じ家族でありながら、兄弟みんな異なる考えを持つて、生き方も違う。
 しかし、「友愛」の家訓を忘れず、問題が出ても「友愛」の言葉を想起して、原点を離れずすべてを「友愛」の理念に立って対処して戴きたいと願っている。

 聖書に「友のために命を捨てる、これより大きな愛はない」(新約聖書)この言葉に、鳩山家のおじいさんが家訓としたようだ。その息子「故鳩山一郎」首相は、毎朝7時に賛美歌を歌い、祈っていたという話も聞いた。
 今回の鳩山由紀夫首相がクリスチャンかどうかは判らないが、家訓の通り、国民を友として、命を惜しまず愛を注いで戴きたい。

 しかし、愛という言葉は抽象的で感情論。本当の愛を具体的に表すことは不可能である。みんなの愛の考え方が違う。私は「アイはアイテ次第」と言っている。相手が愛をどう思っているかによって、愛の形態が変わる。愛しているから何かをくれ!と言う輩が居れば、何もいらない、と言う者もいる。
 愛は犠牲を伴うもので、見返りを求める愛は本当の愛ではない。
「友愛」と言う言葉はすばらしい。「誠実」に「寛容」を持って「犠牲」を惜しまず政治をして欲しい。


 『愛は寛容であり、愛は情け深い、また、ねたむことをしない。
愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで、心理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
愛はいつまでも絶えることがない。』(新約聖書ロマ13章)

 読者の皆さん。愛は難しい。幾らこちらが愛を持って接し、準備をして提供しても、それを愛とは受け取らず、逆らう者さえいる。しかし、何気なくした行為を愛と感じ、目をハートにしてやってくる人もいる。愛は相手次第。
鳩山首相!お願いです。国民は十把一絡げでは無いですが、政治は全体を考える仕事。当然元から矛盾がある仕事だけに、その政策に、愛のある知恵が与えられるように祈っています。
 
飢餓の話を聞いてきた
飢餓の話を聞いてきた 2009/10/01

飢餓の子供
 今日は好天に恵まれ、リーガロイヤルホテルで開催された、婦人ランチョンに、男である私は出席をしてきた。もちろん家内も娘も同行してのことだが、正直、アッシー君としてである。

市岡さんプログラムに、岡八郎さんの長女、市岡裕子さんのすばらしいゴスペルの独唱があった。さすが本場仕込みでその歌唱力は抜群であった。拍手、拍手である。
 歌の合間に語った彼女の体験談は、驚きのものであった。
 父が芸能人であり、超人気の絶頂期に生まれ育ったが、吉本喜劇からリストラに遭い、アル中になった父となって、家庭が崩壊し始め、母は自殺、兄弟も不幸な死に会い、連続の苦悩に長女としてアル中である父を、16歳の頃から面倒を見たという。伺っていて、その苦労は人並みではない。
 やがてその手に負えないような父が重症になり、そして亡くなった後、彼女は単身、アメリカに渡りゴスペルを学んだという。
 その忍従の苦労からわき出る声は、私の魂を震えさせた。本当に感動した。
彼女に神の祝福が本当に豊かにあって欲しいと願った。

 次に立った講師はエリートであったが、聖書神学校に行き、親の期待に反して生きたという。
しかし、日本国際飢餓対策機構という団体に所属し、世界60カ所以上を巡って、食料の実情を見て、体験してこられた人である。
神田先生
 書いている今も、世界のどこかで3秒に一人が、飢餓で亡くなっているという。
 特にフィリピンの話を聞いた。土地は大地主がほとんど所有している。今も昔も変わらない。しかし、昔はその土地を借りて国民の大半は農業を営み、地主に収穫した半分を納めることで彼らは生きていた。飢餓はなかったという。

 しかし、1960年代、日本の商社とアメリカの企業が手を組み、フィリピンの地主に話しが持ち込まれた。あなたの土地でバナナの栽培をしないか?我々が農業を行い、地主には高額なお金を支払う。と言う話しである。
 地主は苦労なく高額な金額が入る方を選び、地元の借地者に期限を切って出て行くように話しを推し進めた。当然幾日間の猶予はあったが、地元の農民たちは、そんなに簡単に次の所へ移れるわけではない。
 そうこうしているうちに期限が来たその時。ブルトーザーを始め、大型機械が入ってきて自分たちが細々と農業をしていた田畑がつぶされ、家もなぎ倒されていったという。ある母子は命からがら家を飛び出し、そこにあった鍋釜だけを持って、着のみ着のまま難民生活者となったという。それらの人たちは人口の40%になるという。

 40年前の日本でのバナナは高級果物で、一般人には口に中々入らないものであった。私も遠足の時に半分持って行ったら、回りの同級生に「スゴイ」と言われ、自慢できたものだった。
 所が今や「バナナ」は安価で、大量に食べられる。欲しいとも思わない。それは全部、日本が買い上げ、フィリピンの人は口にも出来ないのが実情だと聞いた。

 以前聞いた話だが、バナナ園に雇われていた婦人が、赤ちゃんのために乳を与えるのに、栄養失調で乳が出ない。余りにも空腹だったのと、赤ちゃんのために、商品にもならないような一本のバナナに手を出そうとした。それが見つかり、即刻首になり、路頭に迷い、やがては母子共々亡くなったと聞いた。

 日本でバナナはもう高級品とは言わない。商店も少し古くなったバナナは、即、廃棄してしまう。合計が何百トンにもなるという。
 フィリピンの貧しい人を作り出したのは、日本の商社である。飢餓で死を招いているのは日本でもある。世界68億人の内、20%にも満たない先進諸国が、世界の食糧の80%を獲得し、残り20%の食料で52億人が分け合って食べている。

 あなたは食べるものを無駄にしていませんか?
飢餓で乳もでないで死を待つ母親のために、5円があれば赤ちゃんは生きられるという。
1000円あれば、母子が1ヶ月生きられると言う。
 読者のあなた、何か出来ることはありませんか?

 
 
箕面公園に行った
箕面公園に行った  2009/9/8

箕面の猿
 やっと日本も政権が変わり、国会がチェンジした。
今まで顔見知りの政治家たちの顔ぶれが全てチェンジした。
ちょっと違和感を感じ、今までと違った政治の報道に、興味を引く。
新しく大臣になった閣僚も、新しい座席に未知との遭遇の連続で大変だと思う。
良いのか悪いのか。??

 オーストラリアのパースにワーキングホリディで行っていた末娘が、先日帰国した。
驚いたことに、そこで付き合い始めた彼氏と一緒に、である。
新しく迎えた私たち夫婦は、新しい未知との遭遇で大変である。
良いのか悪いのか。??

 帰国した娘も聞いているとブロークンの英語。
我々夫婦も英語はほとんど出来ない。電子手帳をそばに置いてのやりとりをしている。
ホームスティの経験もなく、未知との遭遇で大変である。
良いのか悪いのか。??

 昨日、少し時間が出来たので、午後から箕面公園の猿を、外国人の彼を連れて見に行った。
午後2時頃に到着したが、昔は駐車所や滝の周辺には猿が多数いた。
ところが、1匹もいないではないか。珍しいから見せてあげようと思ったのに当てが外れた。

箕面の猿は暴力的で有名。それは一般の人が餌をやるために、手を出せばもらえる事から始まった。
ちょっと威嚇すれば、小さい子供や婦人は、お菓子を袋ごと捨てて逃げる。それに味を占めて、威嚇することがエスカレートした。ハンドバックや手提げ袋に飛びかかり、奪い取って逃げることをする。時には貴重品が入っていて、人間側に被害が多くなった。猿が行うカツアゲである。
 とうとう餌をやらないで下さい条例がでた。そして山奥で餌場を造りそこでのみ餌を与えることにしたために、人が訪れる観光地には猿が出なくなってきた。
 お陰で猿害はなくなったが、観光名物の猿も見られなくなった。
良いのか悪いのか。??

公園管理の人に聞いたが、住む場所、餌のやる場所をチェンジしたという。
ボス猿をチェンジして、群れを統括する生き方を変えようとしているとの話しである。
動物類(人間も含め)はボスで善し悪しが運命づけられるという。

政治家が代わった。猿も代わった。我が家のボスは、結婚後出産してから代わった。?
あるじは私だが、時々ボスは家内ではないのか?と悩むときがある。
良いのか悪いのか。??


しかし、後で気づくことは、悩む事もあるが、ボスの言うことに従って居れば、安泰である。
良いのか悪いのか。??